松田康次さん
●恵庭市在住 52歳 ●居住歴2年 ●出身地 東京
※令和3年6月取材
北海道旅行の拠点となるような
便利で親しまれる宿を目指して。
長年懸命に仕事を続け、ある年代に差し掛かった時、人はふと「自分の人生、このままでいいのだろうか」と悩み、それまでしまい込んでいたはずの夢を再び思い描く瞬間があります。横浜にお住まいだった松田康次さん(以下、敬称略)もそんなお一人。恵庭というマチで今、夢を実現しようとされている様子を伺ってきました。
50代、やりたいことをやってみる!
———松田さんは20代後半の頃からずっと北海道旅行を楽しまれているとお聞きしました。そのような中、移住を決心された思いとは?
松田 私は32年間、首都圏の大手鉄道会社に勤務していました。20代後半ごろから毎年北海道旅行を楽しむようになり、30代くらいから漠然と北海道に移住したいと考えるようになりました。毎回自分の車に乗って、フェリーで来て苫小牧や小樽で降り、そこから約2週間北海道を巡りました。最初は海沿いを走り、そこから徐々にその都度道南とか道東に拠点を決めて。多くの小規模の宿に宿泊し、そのアットホーム感が心地よく、自分でもいつか北海道でこんな宿をやってみたいと夢を持つようになりました。
とはいっても、まだ30代、40代にはなかなか決心がつきませんでした。でもきっと50歳になったら自分の立ち位置と先が見えてくる。だから、「その時の自分の気持ちを大切にしてみよう」と思ったんです。実際にその年齢になった時、やはり自分の夢は変わっていませんでした。ちょうど会社で早期退職制度がありましたので、それをきっかけとすることもできました。50歳という、体力がまだある時にやりたいことをやってみようと思ったのです。
生活環境は横浜と遜色ない。
———北海道をいろいろ旅されて、なぜこの恵庭市への移住を決められたのですか?
松田 首都圏で自治体が行っている移住相談会に行ってみたんです。いろいろなマチの話を伺いましたが、 恵庭市の対応がすごくよかったんですね。その後、 数年顔を出している間に面識ができ、より詳しく恵庭の話を聞くことができて親近感を持つことができました。それまで住んでいた都市機能が充実していた横浜と極端に変わると自分自身が対応できるか自信がなかったのですが、恵庭なら札幌にも新千歳空港にも近く、住環境にも問題ないと判断し、移住を決めました。正直、 何度も北海道旅行をしてきて、その中で恵庭は通過点でしかありませんでした。でもこうして実際に暮らしてみると、春には漁川ダムの桜は美しいですし、秋には恵庭渓谷の紅葉が圧巻となります。旅の拠点にもなり、生活の場としても憩いと利便性が兼ね備えられていてとても住みやすいマチだと思います。
「また来たよー」と言ってもらえる宿に。
———今は、夢の準備中だと伺いました。どのような民宿をお考えですか?
松田 私が20代の頃からずっと北海道を旅して出会った小規模な宿をやりたいという夢が、ようやく現実になろうとしています。早ければ秋口にはオープンできるかと思います。それに合わせて今は、いろいろ準備に東奔西走しています。基本的には、こじんまりと3部屋6名ほどが泊まれる宿にしたいと考え、居心地の良さを感じていただけるように、それぞれに季節をコンセプトとした部屋づくりにしています。
恵庭は、道東をはじめ道内各地を巡る時の分岐点となる場所。車やバイクで来た方にとっても恵庭は通過点になります。そんな旅人をこの恵庭に引き留める、そんな民宿になりたい。私が若い頃、毎年訪れるたびに、「また、来たよー」と言って泊まった小さな宿の温かさ。見ず知らずの人たちと、「あそこの花がキレイだったよ」などとコミュニケーションを楽しめるような。それも宿の力、オーナーの人柄だと思っています。そんな民宿を目指し、頑張っていきます。旅宿「EVEN(イーブン)」。オープンしたら、ぜひ遊びにいらしてください!