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開拓使札幌本庁舎跡および旧北海道庁本庁舎
明治6年10月に建築された開拓使札幌本庁の本庁舎は南北30.3m(100尺)東西18.8m(60尺)の木造2階建で、屋上に径9m(30尺)の8角塔を設けたもので、明治12年に消失、北海道本庁舎は、その
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明治6年10月に建築された開拓使札幌本庁の本庁舎は南北30.3m(100尺)東西18.8m(60尺)の木造2階建で、屋上に径9m(30尺)の8角塔を設けたもので、明治12年に消失、北海道本庁舎は、その
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明治7年開拓使屯田兵列則の制定と同時に建設された屯田兵村の一画、兵屋跡には兵屋が復元されています。
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8世紀後半から9世紀中頃に形成された径3~10m、高さ0.3~1m程度の墳墓群で、その出土品は東北地方北部の群集墳との強い関係性を示ています。本遺跡は、北海道ではここのみ残る古墳群であり、この
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千歳川と内別川にはさまれた大地嬢に所在する縄文時代早期から晩期、続縄文時代、擦文時代に至る各時代に属する集落跡及び墳墓群です。
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縄文時代後期末葉の共同墓地です。円形に土塁がめぐらされ墓域を区画しており、全部で8基あり、土塁の外形35mから最大75mあります。
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寒地稲作発祥の地で、本道の開拓功労者中山久蔵氏の建てた駅逓の建物があり、明治天皇在所が残されています。
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北海道を代表する縄文時代後期後半から晩期初頭の大規模な墓地であり、豊富な副葬品を持つ土坑墓群や数多くの合葬墓は縄文時代の埋葬習俗、装身文化、漆工文化を知る上で極めて重要です。
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安政6年(1859年)江戸幕府から蝦夷地警備を命ぜられた庄内藩(鶴岡藩)の陣屋跡であり、日本海近くの浜益川北岸丘陵南斜面に所在し、幕末における国際情勢をうかがう遺跡として歴史的・学術的に高い価値を有し